1998年〜1999年 北海道紀行 - 大野一郎さん
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大野一郎さんのプロフィール | 北海道キャンプ旅行(1998年) | 1998年〜1999年 北海道紀行 |
■ キャンプ期間 1998年12月27日 〜 1999年1月5日
このページの内容
プロローグ日程およびルート キャンプ日記 | 参考ページ
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12/27(日)有明フェリーターミナル 〜 (釧路)
そうこうするうち受付開始時間の21:00となり、フェリーターミナルに戻る。JAFの割引が20%適用されて、ツーリストベッドで車+大人2人で\47,040であった。カードでの支払いも可能で有り難い。長期の旅行で大金を持ち歩くのは不安だし、北海道の奥地で金の補給の心配もしなくてすむ。23:50離岸。さぁ出発、今回もサブリナにて上陸だ。年末の最終便でもないためフェリーは空いている。
12/28(月)(終日フェリー)
12/29(火)釧路〜釧路湿原展望台〜鶴居〜標茶〜弟子屈〜摩周湖YH
腹ごしらえのため和商市場へ。私はイクラ&たらこ丼、家内はたらこ丼を注文する。かに汁が体にしみてゆく。いいぞ、こうでなくっちゃ。市場内で実家に海産物を送る手配も忘れない。私は実家にはほとんど寄りつかずあちこちふらふらしてるが、旅先からこうやってたまにおみやげじみたものを送ってコミュニケーションの代わりとしているのである。「来年はもう少し顔を見せなさい」という親の顔が思い浮かぶ気がする。
ちょっと時間をおいてイトーヨーカドー釧路店へ。地方のスーパーにはその土地のオリジナリティが出ている品が揃っていることが多く、ぶらぶらしているだけでも楽しい。防寒靴や布団など、暖かく過ごすためのグッズがあふれていて魅力的だ、なかなか弟子屈に向かうことができない。-8度の外気温とはいえ、外を歩く人は薄着の人が多い。凍結路をヒールでぐんぐん歩く女性もいる、頼もしいぞ。
釧路を出てR38〜釧路湿原の西側の道道53号を北上する。釧路市街に出ると空き地に丹頂鶴3羽が、なにやらついばんでいる。上陸後初めての動物、しかも丹頂鶴なので夫婦共々色めき立ったが、周りの車は気にとめることもない。こういうシチュエーションはよくあるのかも知れない、と思い直し、北上を続ける。(実は餌付け場以外で鶴を見たのはこれが最初で最後だった) 釧路湿原展望台、ビジターセンターを通過、この辺りから雪が現れる。有り難いことに道路にはほとんど雪がない。やがて鶴見台に到着、おお鶴だ。茶色い産毛に覆われた幼鳥がかわいい。彼らは朝に湿原の近くにあるねぐらから飛んできて食事をし、また夕方にかえって行くのだという。中に左翼を骨折しているものがいるらしい、彼は仲間を追ってひたすら歩いて帰るとのこと。
道道53号〜R274〜中久著呂〜道道コッタロ・中久著呂線を通り、コッタロ湿原方面への道などを分け再びR274に戻り、標茶町内を抜けてR391磯分内駅に到着。釧路行きのディーゼルカーを見送りつつ、車内でおにぎりをほおばる。あとはひたすらR391を北上する。
北海道での定着に摩周湖YHを選定するまでには紆余曲折あった。当初は苫小牧上陸〜富良野〜道東というルートをもくろんでいたのだが、今年は雪が多く峠越えもきついとのことで、道東主体に変更した。摩周湖YHはそんな中で立地、費用、YHの設備などを勘案してもベストな宿であった。YHはサイクリングに明け暮れていた頃利用した経験があり、男女別相部屋二段ベットというイメージが強かったが、最近は家族利用のために個室を設けている宿も多い、助かる。我々の部屋は2階の007号室、6畳にTV、ヒーターがある。窓は三重である。
夕食は18:00〜19:00の間に別棟のレストラン、ビッグベアーで食べる。\1,050で、ビーフステーキ、サーモングリル、チキンチーズかつの中から選ぶ。これはYHの規定料金らしい。風呂に入って寝る。
12/30(水)摩周湖探索〜屈斜路湖(屈斜路原野YH、砂湯、野上峠)
気温は-8度くらいだが、有り難いことにエンジンは一発でかかる。しばらくしてXCスキーをする他の客の後にくっついて、道道52号を摩周湖第一展望台へ向かう。いい眺めだ、曇天続きの夏と違いあらゆるものがクリアに見える。登山道を摩周湖の縁沿いに進んでみる。スキーもスノーシューも履いていないので足が潜る。後日改めて出直そうと考え、撤退。第三展望台への道は第一展望台脇のゲートで通行止めとなっていた。今年は第一展望台〜川湯間で工事をしているらしい。YHへの帰りに昨日道の駅摩周のよこで幕営していたサイクリストとすれ違う。MTBに荷物を満載し、半袖でひたすらこいで摩周湖への道を上がって行く。すごい男もいたもんだ。
相変わらず天気はいい。魔法瓶にお湯をもらい、弁当を買って屈斜路湖に向かう。摩周湖YHを下って弟子屈の町に入るところにセイコーマートがあり、そこで買い物。道内にはどこに行っても大体セイコーマートがあり、大変便利で助かる。R391〜R243を経由し屈斜路湖へ向かう途中、予約が取れずあきらめた屈斜路原野YGHにおじゃまする。サイロ型のログハウスで、真新しい、まるでペンションのようだ。R243を川湯方向に右折し、屈斜路湖脇の道道52号を延々と進む。あまり除雪されていない。凍結路の上にパウダースノーが重なり、わだちがはっきり見えず、車は不安定な動きをしつつも進む。砂湯の駐車場へ到着。オオハクチョウが餌付けされている。正面の屈斜路湖が大きい。日本の観光スポットのお約束をここでもふまえていて、けたたましい大音響の歌謡曲が流れている。やめてほしいなぁ、こういうの。もっと静かに風の音や湖岸にうち寄せる水のチャプチャプいう音を聞きたいのに。
するとなにやら遠くから白い固まりがもやのようにこちらに向かってくる。数分で到達、雪雲の固まり。あっという間に吹雪になってしまった。辺りにはライトがつき、車内も急速に冷えてきた。
12/31(木)摩周湖探索(スノーシュー)〜9○○高原 摩周湖YH忘年会
YHでおにぎりを用意してもらい、スノーシューも借りて、道道52号をいざ摩周湖へ。展望台脇の登山道のところに車を止め歩き始めるが案の定、風が強い。YHの長男あきらくん(彼は現役の北大生、化学専攻、冬休みで帰省しているのだ)によれば、
「南側斜面で休みを取りつつ、進むといいよ」
だった。う〜ん、確かにそうだが、風、強すぎるぜ。姿は見えないが獣の足跡が多い。ウサギが圧倒的に多くしかも足跡が大きい、鹿の足跡も多いようだ。風をよけられそうな斜面で小休止。魔法瓶に入れてきた紅茶がおいしい、体に浸みてゆくようだ。
足を止めるとあっという間に体が冷える。私は冬山用のゴアテックスヤッケの上下、家内はスキーパンツにダウンジャケット。ダウンジャケットは行動中は暑くてたまらないようでザックの中に押し込んでしまった。1時間くらい歩いたところで、あえなく撤退。もうどうしようもなく顔が冷たい。髭が凍っているようで口元がつれる。少しすると昨日YH前ですれちがったサイクリストが、ピッケル+アイゼン姿で、しかもまたもや半袖Tシャツ姿で上がってくるではないか。そうそう、彼は摩周展望台の横にテントを張っていたのだ。凄すぎる、とりあえず彼の安全を祈ろう。帰りがけにYHの宿泊客連中とすれ違った。XCスキーツアーのようだ。寒いけれどがんばってね。
車に戻り、車内で改めて紅茶を口にする。やはり凄い風がデリカの側面に当たっていて、ひとかぜごとに車体は左右に船漕ぎをするような動きをする。やはり激しいな、北海道の冬は。気を抜けない。そうこうするうちいったん冷えた体が火照り返してきて、指先など血液が脈動しているのを感じる。やめやめ、今日もやめとこう。
気を取り直して9○○(きゅうまるまる)高原へ行くことにした。弟子屈町内を抜けて少しだけ鶴居方向に道道53号を進む。やがて9○○高原の看板が現れる。昨日からの強風で町内もあちらこちらで雪がたまっていたが、この高原への道はさらに多くの雪が吹きだまっていた。
「720度の展望」 それが9○○高原の売り文句である。確かに屈斜路湖、斜里岳、摩周岳、雌阿寒岳、釧路湿原と展望が開けている。水平方向に360度、垂直方向に上から下まで360度ということか。風が強くてやはり車外で長居はできない。かなりどうでもいい話だが展望台脇にトイレがあったので用を足す。展望台は休業中であったがトイレはあいていた、しかもパネルヒーターが入れてあって暖かい。ありがたやありがたや。
展望台からさらに進んだ高原の放牧地まっただ中と思われる道道脇に駐車し、昼飯&昼寝。やはり一時間位すると寒くて目が覚めた。車の窓の内側は人から発する湿気が元で凍り付いてしまい、スライド窓もやはり開かなくなってしまった。ウェッティーも丸ごと凍ってしまった。やれやれ。
今日もこれで終わり。午前中の風との闘いで結構体力を消耗してしまった。YHにかえってまたまたさっさと風呂にはいる。今日はYHの忘年会なのだ。
YHにかえると宿泊客は30人くらいになっていた。いわゆるリピータも多いのかも知れない。隣接するレストランで18:30から立食パーティーが始まる、会費は\2100。YHのペアレント加藤さんの言葉、
「今日このYHに集ったみなさん、いろいろなところから来ていただきありがとうございます。に続き、30人の客の中で一番遠くから来た人(宮崎県からだったと思う)が挨拶をする。21:00くらいに中〆め、後はYHの談話室で続く。我々は自分の部屋に戻って、くつろぐ。
みなさん各自それぞれのお立場でこの一年いろいろなことがあったと思いますが、もうそれは過去のこととして、来年に向けていい年末を過ごそうじゃありませんか」
年明け10分前になると非常呼集がかかる。ジャケットを着て戸外に出る。満天の星のもと、カウントダウンが始まる。あけましておめでとう、今年も皆健康で幸せに暮らせますように。そして、お休みなさい、アァ〜眠い。
1/1(金)摩周湖初日の出〜多和平〜中標津温泉会館〜野付半島
道道13号虹別を通り、R272を一瞬通過、道道13号中標津へ向かう。12:30中標津温泉会館着。入浴料は\400だ、広くてなかなかよい浴場で足寄町の温泉を思い出した。温泉には食堂もあり、2階には宿泊施設もある。温泉に隣接する池にはオオハクチョウが餌付けされていた。温泉のおじさんに観光マップとカレンダーをいただく。特にマップはイラスト状で道東を紹介したユニークなもので、わかりやすい。
中標津まで来るとオホーツクはすぐそこ、20kmくらい。じゃあ行ってみようかと言うことになった。R272をひたすら東進(写真→)、20分くらいでオホーツク海が見えた、人生初オホーツク。さらに興味にそそのかされてR244〜道道経由で野付半島に。除雪マップでは途中まで除雪されているようなのでいけるところまで行ってみる。ナラワラ、トドワラなど一風変わった地名をやり過ごし、ひたすら半島の先端を目指す。途中国後島が見えた。野付湾はシマエビの漁場だそうであるが、冬は凍結してしまっていてあたかもノルウェーのツンドラ地帯を見ているかのような荒涼とした風景が延々と続く。半島の付け根から先端まで10km、東武東上線では池袋から新座くらいだろうか、ひたすら直線。灯台のちょっと手前で道は終わっていた。ちょっといたずらして友人に電話を入れる、携帯電話は・・・つながる。文明はすばらしい。
数年前初めて北海道に来たとき、どこもかしこも寂しく見えて切なくなってしまったが、それも暫くして慣れて、本当に寂しいところと単に人気がないところの微妙な違いが肌を通じて感じることができるようになっていた。でも、ここはやはり寂しいところだ(と思う)。ただただ朽ち果てて行く木造船、全体が錆で浸食されシャーシやエンジンむきだしになったトラック、かつて人のために働いたであろう道具が今はその役目を終え、自然のなすがままに元の姿に帰って行く姿は無情とともに輪廻を感じる。
天気も芳しくなく、野付半島は行っただけ、全くの話の種になってしまったが、時間も遅くなってしまったので帰路に就く。ひたすら安全運転。今回の北海道で一番長距離を走った(250kmちょっと)。途中、多和平辺りで日没。夕日はきれいだった。終わりよければすべてよし、本年は年末までには景気がよくなる期待をしてしまう。
17:00くらいにYH着。旅も折り返すと洗濯がたまってくる。YHのコインランドリーで洗濯をしてから、部屋の加湿をかねて洗濯物を干す。急に部屋がわざとらしい芳香剤のようなにおいでいっぱいになった。もうこの部屋は完全に我らの生活の場となってしまっていた。
1/2(土)コッタロ湿原〜釧路湿原(細岡カヌー、展望台)〜達古武沼〜塘路湖〜コッタロ湿原〜弟子屈共同浴場〜駅前食堂
8:30YH発。セイコーマートでお弁当を調達し、R391を釧路湿原へ。天気も良く、気温も高い。道路は全くのドライで雪なし。細岡手前でコッタロ湿原方向へ右折。いきなりダートが始まり、鹿が飛び出してくる。今は猟の季節だがここいら辺りは禁漁区で、鹿も悠々としている。群のリーダーらしき鹿がじっとこちらの気配を伺っているが、他の鹿はひたすら草をついばむ。ダートをゆっくりと進むと川沿いに何台か車が止まっている、釣りをしているらしい。(YHの方によるとヒメマスやキュウリ魚?が釣れるとのこと)湿原にとって我らは闖入者であり、鹿くんに申し訳ない。このときばかりはデリカが電気自動車だったらなと思う。
今日は実にのんびりした一日だった。日も暮れてきたし帰ろう。折角なのでまたまたコッタロ湿原のダートを通り鹿に挨拶して帰る。R274〜道道53経由で、弟子屈に戻る、信号もないうえ車の往来が少ない快適な道だ。途中で日没。夕日に照らされて車の陰が雪面に投影され、長く延びて郷愁を誘う。今日はちょっと趣向を代えて弟子屈共同浴場に寄ってみた。町民\200、外来\300でなんかレトロな温泉だ。洗い場は6つ、中央にどぉ〜んと浴槽がある。この浴槽、凄く深く中腰ではいるくらい。子供は段になっているところにたたないと溺れて釜ゆでの刑になってしまうのだ。夕食は駅前の食堂にする事にした。中標津温泉会館と同じくメニューはそんなに充実してはいないようだったが、カツカレーのカツが揚げたてでうまかった。
1/3(日) 藻琴山〜摩周湖YH〜硫黄山〜屈斜路湖ホテル
13:00くらいに下山開始、下りは30分くらいであっけなく終わり。14:00くらいに小清水峠をあとにする。YHに帰って、「また弟子屈共同浴場」と思ったのだが日もまだ高いため川湯周辺に行ってみることにした。コタンの湯は水着を忘れたので見合わせるとして、YHエブリ氏おすすめの屈斜路湖ホテルの風呂へ行くことにした。弟子屈からまた川湯に行くのは実際には結構距離もあり面倒くさいように思うが実際には15分くらいしかかからず、行けてしまうのだ。ただ今夜はYHの新年会なので「早く帰ってきてね」とのこと。温泉で融けないように意志をしっかり持とう。川湯に行きながらスタンドで給油、横浜ナンバーを見て
「お客さん年末からずっと居るねぇ。なに?鹿打ちかい?」
違うって・・・。
屈斜路湖ホテルは正面に屈斜路湖と先ほど登った藻琴山を正面に観ながら入れるいい風呂だ。凄い湯気で浴室に入った瞬間にはどこになにがあるのかさっぱりわからず、視界30cmくらいだったがだんだん目が慣れてきた。浴槽の底部には玉砂利が敷いてあって足裏のつぼを刺激する。風呂の脇で誰かが餌をあげているらしくオオハクチョウが外で鳴いてる。あ〜、隔世感が私を包む、も〜社会復帰できん。
ともかくYHに帰ってくる。今日は新年会、お客は8人でレストランビッグベアのまかないさん、弟子屈町の方などで全部で20人くらいになった。会費は\1050で寿司の他、エブリ氏、ノッポさん(ビッグベアのバイトの人)が代わる代わるたこやきやら作ってくれた。
1/4(月)鶴居〜釧路 釧路〜広尾 〜 (有明フェリーターミナル)
帰りも鶴居経由で帰ることにした。道は順調、40分くらいで鶴見台に到着。その後まっすぐフェリーターミナルに向かう。9:30にターミナルに着くが受付は10:00〜11:30とのこと、今一度市街に向かう。イトーヨーカドーでおみやげ探したり、雪国ならではのおもしろグッズはないか探したりしてみた。家内は靴裏につけるワンタッチスパイクを購入した。
手続きに戻ると長蛇の列。そう、この便はH11年の始発便、船はブルーゼファーだ。帰りはちょっとリッチにファーストツインである、車+大人2人で\70,560である。旅の疲れはゆっくり取りたいものだ、そのためにもこの投資は有効だ。行き帰りにフェリーを利用することは車を航送するだけでなく、旅と繁忙な日常生活の間に区切りをつけるためにも必要なもの。温泉に何回もつかり、旅の途中でもらったパンフレット類などを読み返して整理したりと結構充実したものがある。我らの部屋はBデッキの一番先頭にあるフォーワードデッキわきの315号室、前側の車搬入ハッチの上に当たる。あっという間に12:00になり出航である。とりあえず沿岸を南下し、十勝港(広尾町)に向かう。
十勝港を15:00に出て沖合に出ると揺れるわ揺れる。風呂に入っていてもまるで海面にいるかのような気分になる。なんだか眠くなってきた。
1/5(火)有明フェリーターミナル
東京湾に入ると、急に船の進みが遅くなった。回りには大小たくさんの船が見える。帰ってきたんだなぁという実感が湧く。昨日フェリーに乗って離道したばかりなのに、もう何ヶ月も前だったような錯覚を感じる。ニュースを見ると道央では大雪で飛行機が飛ばず、東京に戻れない客が千歳空港にたくさん残っているとのこと。今回は考えてみれば雪に悩まされると言うことはなかった、と振り返って思う。
今回は長いようでまだまだ遊び尽くせなかったことがいろいろあったように思う。水着を忘れて無料露天風呂に入れなかったことは非常に惜しいことであった(寒さ対策ばかりが頭にあったことの弊害)。YHの近所の牧場へも実は毎日足を運んで見たかったのだが、結局のところ1回も行かずじまい。次回は必ず行きたい。
振り返って思うこと、それは冬に行ってよかったと思うことである。なぜかな、でもよかったな、また行きたいなと思うのである。北海道の地を訪れたことのなかった時はとにかく北海道に行きたい、そればかり考えていた。いったん行くと、宿ではなくキャンプや車中泊でより大地に接して過ごしてみたいと思うようになった。すると今度は夏ではなくもっと観光色の少ない(であろう)冬に行ってみたいと思うようになった。次は?さぁどうなるか。